tsurezures’s blog

映画、本などの感想を徒然なるままに。

東京物語

監督:小津 安二郎(1953年)

評価:S

 

【概要】

尾道に住む子ども5人を持つ老夫婦と、巣立った後遠く離れた東京や大阪に住む子どもたちのいる家族について描いた物語。

老夫婦は子どもたちに会いに約半日をかけて東京へ汽車で出かける。一旦は事前に連絡していた長男や長女の家に泊まるが、二人とも多忙な日常に追われ中々お父さんやお母さんと時間をゆっくり作ることが難しい状態であった。

ひとまず次男の奥さん(次男は朝鮮戦争で亡くなっている)に連絡し、一日は次男の奥さんがお父さんお母さんを東京案内してくれる。

ずっと次男の奥さんに頼ることも難しく、悩んだ長男長女は二人で相談し、両親へ熱海旅行を提案しお金を渡す。両親は熱海へ行き一旦は旅館の温泉や海の静けさを楽しんでいたものの、旅館の夜の賭博や宴会の賑わいで寝付くことができず「ここは若い人がくるところだねー、そろそろ帰ろうか。子どもたちみんなにも会えたことだし」と帰ることを早々に決意する。

想定よりかなり早く帰ってきた両親をみて、驚きを隠せない長女。長女も両親が帰ってこないことを見越して予定を入れていたため、宿がない旨を伝える。

悩んだ両親は別々に泊まる場所を探すことにする。母は一度お世話になった次男の奥さんの元へ、父はあてのある知り合いの元へ訪れる。

次男の奥さんは快くお母さんを受け入れ、お家に泊める。お父さんはひさしぶりに再開した友人たちと長年辞めていた酒を交えつつ晩を明かす。泥酔したお父さんは友人の一人を連れたまま警察官に長女の家へと連れ帰られる。

突然うちにこられた長女は戸惑い怒りつつも、二人の寝床を用意してあげる。

これ以上迷惑もかけられないと、翌日の汽車で二人は尾道へ帰ることにするが、お母さんは貴社の途中で体調を少し崩す。体を取り戻し、翌日には尾道につくもののその後すぐ危篤状態との知らせが子どもたちのもとに電報で届く。

危篤の知らせを聞き、子どもたちは尾道に集まるが翌日には亡くなってしまう。

お葬式をあげ、次の日には仕事があるからと長男長女は東京へ帰ってしまうが、次男の奥さんはお父さんと次女のことが気がかりで尾道へ少し残る。

その後次男の奥さんも汽車で帰ることになり、お父さんと次女さんが後に残される。

「どうせあいつが亡くなるなら、もっと優しくしときゃあよかったなぁ。1日がなごぉ感じるわ。」とお父さんがぼやいているところで、お話は終わる。

 

【所感】

・制作から約70年も経過しているのにも関わらず今の時代でも十分に通用する内容の映画であった。

・誰が良いとか悪いとか、どんな親や子であるべきというのを決めつけているような感じやメッセージ性も強くはなく、親子や義理の娘などそれぞれの立場から葛藤や思う所を描いていいた。

・お父さんが久しぶりに再開した友人たちと飲むシーンで「結局子どもなんて自分の思うようにはいかないもんよ、諦めも大事よ」と言ったのは、案外腑に落ちた。子育てをしていると、どうしても「我が子にはこんな子になってほしい。」と色々な夢や理想を持ち必死になる時がある(いつもではない)が、詰まる所子どもも一人の人間でいつかは親の手を離れて自立する日が来るんだと改めて思った。個人的にここでいう諦めは「もうダメだ。諦めるしかない。」じゃなくて、「できることは最大限やりきった。」で終われたら親としてはまだ納得のできる人生になるのかなと。

・お父さんお母さんが東京へ行った時も、お母さんが亡くなった後も、皮肉にも一番面倒を見てくれたのは次男の奥さんであった。見る人がみたら、実の子は冷たいじゃないか、と感じるのかもしれない。実際お父さんも終わりの方のシーンで、お母さんの形見の時計を義理の娘に渡し「お母さんはあんたと過ごした日が一番楽しかった」と言ってた。小津安二郎はこれらのシーンを通じて何を伝えたかったのだろうか。

私は正直長男長女、義理の娘、どちらの気持ちもわかる気がすると思った。長男長女にしたらいつか来る日であろうと心の準備をしていた部分もあり、ある意味で母の死は人生のストーリーの中で描いていた出来事の一つだったのかなと思った。一方義理の娘は、自分の夫を戦争で失っており、失ってから8年その悲しみを埋め合わせる方法を見つけられずにいたような状況であった。夫のことを忘れたくないと思う一方で時間の経過とともに人間であるが故、忘れていってしまう自分がいて、その罪悪感に苛まれいわば罪滅ぼしのような気持ちもあり義理の両親を大事にしていたところもあったのではなかろうか。

映画に出てくる義理の娘も実の子どもたちも、表現の仕方や捉え方は違えどお父さんお母さんのことを大事に思う気持ちに変わりはないと私は思う。ただ、親の立場から見た時、やっぱり元気に生きている間に少しでも一緒に時間を過ごせたらそれだけでも嬉しいものなのかなとも思った。

一度でも子どもたちを送り出した親の立場にならないと、わからないであろう心情を美しくかつ現実的に分かりやすく描いてくれている作品であると思う。

 

・子どもが成長し、巣立った頃にまたもう一度みたい。